半分は己の幸せを追求する。半分は他者の幸せを願う。そんな人間にわたしはなる。
私は少林寺拳法をやっていた。3年くらいか。今はやっていない。昔は日本拳法を10年以上やっていた。
おなじ拳法と名がついてるが内容は全く違う。それについてはまた書こうと思う。
半ば自己の幸せを 半ば他者の幸せを
意味はそのままなのだが、己の幸せを追求する。自分の利益、欲望をみたす。しかし自分だけではない。
半分は相手のことを考えて行動し相手の幸せを祈る。という意味だ。
本質を突いた言葉だと思う。
己を投げ出してすべてを他人のために、とはよく言うがとても実行できない理想論だと思う。
あるていどの短期間はできるかもしれない。それを一生続けろと言われればできないだろう。
そんなありもしないもの、できもしないことを追い求めるよりも、まず自分を救う。自分の愛すべき恋人、家族を救う。
そして次に相手のことも考えて行動する。
それで十分だと思う。
自分ひとりで生きているのではない。死ぬ瞬間まで生かされている。幸福な出来事も不幸な出来事も何が起きても人生、万事うまくいっている。
自分で自分を傷つけ、他人を傷つけ、すべてを傷つけ、修羅のごとき人生を歩んできた私だがこの言葉で救われた。
もう誰も傷つける必要などない。
この2つの言葉は初めて聞いたときからずっと私の中で生きている。
この言葉に出会って私は少林寺に興味を持ち入門したのだ。言葉は強いエネルギーを宿している。
人の人生を変えるくらいね。いまでも私はこの言葉に救われている。
昔は酒、タバコ、抗うつ剤に救われていた。今は違う。